紀尾井町サロンホール主催「木曜コンサート」を、より皆様に楽しんで頂けますよう、ご出演者様へのインタビューを企画致しました。演奏だけではわからない意外な素顔が垣間見えたり、より身近に感じられるようなお話をぜひお楽しみください。Vol.003はバリトン歌手の井上雅人さんです。

声楽を始められたきっかけをお話し頂けますか?

幼稚園の時に、ちょうど幼稚園の上の階にヤマハのエレクトーンの教室がありまして、あまり記憶にはないのですが習っていたようで、途中で「男はこんなのするもんじゃない。」と言って辞めたらしいです。それから小学校に入ってからは、割とスポーツの方が多かったんですね。水泳と剣道を6年間やりまして、中学に入って今度は陸上部に誘われてハードルと砲丸投げをやっていました。小学校の時は変声期がとても早かったので、一人だけ低い声で歌うのがあまり好きではなかったんですね。それで、なんとなく小さな声でごまかしたりしていたのですが、中学校に入るとみんな変声期に入ったので、声を出して歌うようになったら、音楽の先生がとてもいい先生で「井上、お前いい声だな。」と言ってくださって、歌うことを楽しくさせてくれた方で、その先生の影響もあって、音楽がすごく好きになりました。

その頃にちょうど母が近所のピアノの先生に習いに行っていた事もあり、自分もちょっとやってみようかなと思って、その先生のところについて行って、みていただくようになりました。その後、先生が歌の先生を紹介してくださり、それが大体中学2年生の頃で、そこがスタートでしたね。ピアノの方って、3才くらいから始めるかたが多いのですが、声楽の場合は大体中学や高校の合唱部から進まれる方が多いので、声楽を習いだしたという意味では早いほうかもしれないですね。

声楽は始める年齢が器楽に比べて少し遅めでも、その分、年を重ねても声にますます魅力がでていくというようにお聞きします。声楽を始められてすぐに歌うことって楽しいなと思われましたか?

最初は全然わからない世界だったので、わからないままやっていたんですけれど、山形県民で第九の合唱パートの一般募集があり、母に誘われて一緒に出たんですね。たぶん合唱では最年少だったと思うんですが、その時のソリストは第一線で歌われていらっしゃる方々で、その歌声を聞いて「これは本当にすごいな。」と思って、「自分もこうやってすごいって思ってもらえる歌を歌いたい!」と思って、そこから自分の中では「面白いな。」というか、本気になってやりだしたというのがありますね。

進路はすぐに音楽大学、芸大へという形でしたか?

最初は父親の反対とかあったんですけれども、やはり家族が音楽を知っていた家庭ではなかったので、母親は趣味でやっていますけれども、よくわからない世界なので。でも、自分はどうしても音大を受けたくて、中学3年生の時に県のジュニア音楽コンクールの声楽部門を受けて、高校生ばかりの中、自分だけ中学生でぎりぎり努力賞を頂いて。それで父親も「やれるところまでやってみろ。」ということで、そこからは応援してくれるようになりました。

とてもスムーズに、出会いにめぐまれて音楽の道に進まれたという印象がございますね。

そうですね。ある意味、形としては順調に進ませてもらったと思いますが、やはり、なかなか伸びない時期もあったり、どうしても周りが上手く聞こえてしまうので、そういうことで焦ったりとかもありました。でも周りに本当にいい縁があって、助けられたこともとても多かったですね。

学校に入られて演奏家を志すとなりますと、いろいろな過程があるかと思いますが、その中でご自身の支えとなった恩師や周りの方々のお言葉や心に残るエピソードなどございますか?

そうですね。東京に来てからの恩師は平野忠彦先生という方で、数年前に残念ながら亡くなられたのですが、普段はとても親分肌で面倒見のいい方なんですけれど、怒るととっても怖くて「なんだ、その声。出直してこい。」なんて感じだったんですけれど、ただ一度「井上、いいか、俺が全力で盾になってやるから、おまえはやりたい事をやれ。」とおっしゃってくださったことがあって、そこでちょっと吹っ切れたことがありましたね。なかなか、そこまで言ってくださる先生っていらっしゃらないんですけれども、本当にそういう意味では自分のやりたいことをやらせてもらったので、有り難かったですね。

それほど井上さんが素晴らしい才能をおもちなので、平野先生もそこまでおっしゃられたのだと思いますが、なかなかそういうお話は聞かないですね。

そうですね。普通は私の名前に傷がつくから余計なことはするなとか、そういう方が多いので、そういうなかでは本当にめずらしい先生でした。

そうすると先生の後押しもあり、本当にがんばろうというか、身が入るお気持ちになられるでしょうね。やはり平野先生とはたくさん思い出がおありですか?

先生は普通ご自分の本番が近くなるとレッスンがなくなったりとか、よくあるのですが、本当に特殊な先生で、ご自分の出番が間に合うかぎりぎりまで、ずっと学校でレッスンをしてくださって、「そろそろ行かなきゃいけないから。」とか休校には絶対にしないで、本当に生徒思いでいらっしゃいましたし、リハーサルとかもよく見せてくださいました。実際の現場の様子を見せて勉強させてくださったりとか、有り難かったです。

今年はデビュー15周年という記念すべき年ということで、おめでとうございます。15年というのはたくさんの思い出がおありかと思いますけれども、15年早かったですか?

今思うと一瞬に感じますが、ひとつひとつ思い返してみるといろいろあったなと。デビューというのが大学院を終了した後の大きな公演をデビューと数えているのですが、それがちょうど師匠の平野先生と同じオペラに出させて頂いたのが、モーツァルトのコシ・ファン・トゥッテで、組は違ったんですけれど、そこがスタートで、いろんなオペラにも出させて頂いたり、あとは上海万博で第九を歌わせて頂いたり、本当にいろんなことがあって、そのたびにいろんなご縁を頂いています。

やはり公演ごとに出会う方がいらして、そこからまたいい縁が生まれるのは、素晴らしいことですね。たくさんのご出演がおありかと思いますが、忘れられない演奏会とか、転機になられたと感じられるものとかおありですか?

オペラは大きなものがたくさんあるんですけれど、それ以外では2つありまして、ひとつは5年前の10周年記念のリサイタルをサントリーホールのブルーローズでやらせて頂いた時にモダンピアノとフォルテピアノを2台使って、とても自分のやりたいものを詰め込ませて頂いて、本当に思いのある公演でした。あと一つは最近ライフワークとさせて頂いているフィンランドの楽曲がありまして、最初は「フィンランドの風」というタイトルでフィンランドの歌曲を取り上げるシリーズをしたのですが、その時に今回もピアノを弾いて頂く小瀧俊治さんにも手伝って頂いて取り組んだというのは、自分が今、力を入れているフィンランド歌曲のスタートでもあるので、そこは思いに残っていますね。

フィンランドの風」を拝見させて頂きましたが、もともとフィンランドとはご縁がおありだったのですか?

地元の山形交響楽団オーケストラで何度か呼ばれて歌わせて頂いた時に、今、第2ヴァイオリンの首席奏者でヤンネ館野さんという方がいまして、お父様は館野泉さんという有名なピアニストの方ですが、山形交響オーケストラのファンの方を通じてヤンネさんと仲良くなりまして、一緒にコンサートを開こうとなった時に彼の出身であるフィンランドの楽曲を取り上げようということになりましたら、とてもいい曲で、コンサートが終わった時にもう少しフィンランド歌曲に取り組んでみたいという話しをしましたら、彼が「お母さんが教えてくれると思うよ。」ということになりました。館野泉さんの奥様はマリア・ホロパイネン先生というフィンランド人の方で、東京にいらっしゃった時にレッスンを受けましたら、とてもいいレッスンだったので、フィンランドのヘルシンキに行って、毎日レッスンを受けました。

フィンランドにいらしたんですね。

はい。そうですね。本当は2012年の頭か2011年の終わりくらいに行こうかなと思っていたのですが、ちょうど震災で何もできない状況になってしまって、私の親も「仕事がないのだったら、今、行った方がいいんじゃない?」と言いいまして、2011年初めに渡り、ヘルシンキのマリア先生のお宅に毎日通うようになりました。

フィンランド歌曲を取り上げていらっしゃる方は他にもいらっしゃるのですか?

いらっしゃいますが、かなり少ないですね。

とても美しい曲が多くて、やはりフィンランドの自然から生まれるのかしらと、行ったことがないので想像ではありますが。実際にいらっしゃっていかがでしたか?

意外とフィンランドの方って見た目は色白で金髪の方が多いですが、体型自体はアジアよりで、民族的にもアジアに近いんですね。気質も割と日本人に近いところがあって、そういう意味ではとても接しやすいというか、あまり過剰なものがないので、珍しく空気を読むという文化もあるらしくて。

日本人のようですね。

ヨーロッパとしては特殊なようで、そういう意味では感じる音楽の感覚も少し似ているところもあるように思います。

井上さんのコンサートに行かないと、なかなか聞けないフィンランド歌曲もありますので、お客様も楽しみにされていらっしゃる方が多いでしょうね。それでは15周年を迎えられて、これから演奏家として、もしくはプライベートでも何かチャレンジされたいことなど、おありですか?

本当は6月に別のリサイタルを予定していたのですが、やはりコロナ禍にあって出来ず、その時に取り上げる予定だった「詩人の恋」を、何人かのお客様から「聞きたい!」というコメントを頂いたので、当初予定しておりませんでしたが、小瀧さんと相談して演奏させて頂くことになりました。

かなり久しぶりに「詩人の恋」を歌わせて頂きますが、そうした連作歌曲のものも引き続き取り組んでいきたいと思っています。あとは大学院の頃から少しずつ触れているジャンルなのですが、邦楽の方とのコラボがありまして、大学院の時に日本のオペラを論文で取り上げたこともあって、その時から日本のオペラではあるんですけれど、その中に邦楽の方も入られての公演でしたので、それから、そういう方達とも何か出来ないかと思っておりました。今年から横笛奏者の澄川さんという方と一緒にコンサート始めていく予定ですけれど、他にもちょっと、いろいろ取り上げていきたいなと思っています。適当なコラボというよりは、それぞれの良さをきちんと出せるような形でやっていきたいなと思っています。

ちょっと日本人に立ち返るというような意識や日本の魅力を伝えたいということがあるのでしょうか?

そうですね。やはりヨーロッパのものをやっていると、なおさら日本人であるということを意識せざるをえないんですよね。特に歌にかかわると、どうしてもオペラで西洋のものを演じるにしても見た目がアジアであるので、それを考えると日本人であることを活かせるということも同時に出来たらいいなと思っていまして、取り組んでいきたいと思っています。

お忙しい日々をお過ごしのことと思いますが、音楽以外でお好きな時間の過ごし方などおありですか?

お客様もご存知の方が多いかと思いますが、日本酒が大好きで、あまりスケジュールが密でない時は、少し日本酒を味わいながら楽しんだりすることもありますし、あと珈琲も好きなので、自家焙煎の美味しいお店に行ったり、あとは歩く事も好きなので、結構長い距離を歩いて風景を楽しんだりとか、本当に音楽とは全然関係ないことも楽しむようにはしていますし、あとは音楽に関係あるものであると、クラシックではない音楽を聴いたり、演劇も好きなので観に行ったり、なるべく声楽以外の表現するものに触れたいなと思って足を運んだりしています。

舞台芸術というか、舞台の上で演じられる方を観ていらっしゃると、オペラで演じられる時などにも良い影響があったりするのでしょうね。

お芝居やミュージカルも好きで、他にも日本文化のお能や落語とか一人で色々なキャラクターを即座に変えるというのは、歌曲などでもありますので、ああいった演じ分けなどはすごく勉強になります。

井上さんはお芝居もとても素晴らしくていらっしゃいますよね。コンサートの中でもオペラの一場面を切り取って演じられるのはとても難しい事と思いますが、引き込まれる演技が印象に残っております。今年は井上さんにとって記念すべき年でありましたが、大変残念なことにコロナ禍という思ってもいないことが起こり、音楽家の方達にとりましても大変厳しい状況が続いておりますが、自粛期間やコンサートの中止が相次いだりという中で、感じられたことをお聞かせいただけますか?

これは本当に難しくて、まずは一般の世界のことだと、やはり情報に左右されてしまうということはどうしようもないことではありますが、正しい情報を冷静に自分たちで判断していかなければならない時代に入ってしまったんだな、ということは思いました。

演奏家としては、ほとんどの人が半年近く、演奏する場がなくなってしまったということで、配信中心の活動に移した方もいらっしゃいますし、なんとか生の演奏を再開させようという方向に動いている方もいますし、演奏家の活動の仕方も変化してきているなと、これはコロナが収まっても少しずつ変わっていくんだろうなと思いますね。

まだ、先の見えない状況が続いておりますが、お客様を少なくしたコンサートと配信の2本立てなど、いろいろ新しい形も受け入れつつ、音楽家の方々が活躍する場がせばめられませんようにと願っております。最後になりましたが、今回のコンサートで予定されていらっしゃる楽曲について、又コンサートを心待ちにされていらっしゃるお客様へのメッセージをお願い致します。

今回一番大きな作品となるのが「詩人の恋」なんですが、これは実はピアノの小瀧さんと最初に組みだした頃に、小瀧さんに「一緒にやりたい曲はありますか?」と聞いた時に返ってきたのが「詩人の恋」ということだったんですね。いきなり、その大曲がきて僕もびっくりしたんですけれど、「せっかくならやってみようよ。」ということで、演奏したのがちょうど最初の頃で。そういう意味では小瀧さんと長い間にたくさん共演させてもらっているんですけれども、そのスタートと言ってもいいくらいの作品であるので、それを本当に久々に一緒に出来るっていうのは、僕自身がすごくありがたく、楽しみにしています。

ただ、テノールの為に書かれた曲なので、調を下げてもバリトンには大変な作品ではあるのですが、僕自身がすごく好きな先品ですし、フィンランドに行ってマリア先生のも習った時に、先生が「あなたの声はシューマンに合っているから、ぜひシューマンを歌いなさい。」と言われたこともありまして、そういう意味でも今回、チャレンジしてみようと思っています。あとは初めて歌う曲も何曲か予定しておりますので、ぜひ楽しんで頂けたらと思っております。

それでは、コンサートを楽しみにさせて頂きます。本日は貴重なお話しをありがとうございました。


 

井上雅人(いのうえまさと)
バリトン

629日生まれ 山形県新庄市出身
山形北高等学校音楽科を経て、東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。同大学大学院修了。二期会オペラ研修所を修了(最優秀賞・川崎静子賞)。フィンランドにて学ぶ。ピアノを五十嵐真規子、武田紀代美、郷津由紀子、岡田敦子の各氏に、声楽を大類雅子・志鎌綾子・故 平野忠彦・Maria Holopainenの各氏に師事。2010年 上海万博「世紀のコンサート」に招かれ「第九」バリトンソロを務めたほか、バッハ「ヨハネ受難曲」(イエス)、モーツァルト「レクイエム」、フォーレ「レクイエム」、三木稔「レクイエム」等のソリストを務める。オペラでは芸大オペラ定期公演「フィガロの結婚」フィガロ役でデビューし、翌年の「コジ・ファッン・トゥッテ」でもグリエルモ役で出演。大学院終了後に東京室内歌劇場公演(若杉弘指揮・栗山昌良演出、東京フィル)「コジ・ファッン・トゥッテ」にグリエルモ役で出演し学外での本格的にオペラデビューを果たす。その後「椿姫」ジェルモン、「マクベス」マクベス、「アイーダ 」アモナズロ、「蝶々夫人」シャープレス、「カヴァレリア・ルスティカーナ」アルフィオ、「カルメン」エスカミーリョ、「夕鶴」惣ど、「遠い帆」徳川家康、「じょうるり」阿波抄掾などを演じた。NHK交響楽団公演「サロメ」および上海交響楽団講演「サロメ」に第1の兵士役他で出演(両公演デュトワ指揮)。新日本フィルハーモニー管弦楽団講演「エスタンシア」(アルフテル指揮)バリトン独唱。また、小瀧俊治氏とのCD「人生に」はフィンランド歌曲を軸にレコーディングを行い、フォルテピアノ奏者の川口成彦氏とは、シューベルトの時代のピアノによる「冬の旅」(2公演)を行い好評を博すなど、歌曲の分野にも力を入れている。2020年 デビュー15周年アルバム「愛の夢 – ペトロフと共に – 」(ピアノ:小瀧俊治)を発売。二期会会員。

http://masatoinoue.com/

コンサート情報

アーク紀尾井町サロンホール主催シリーズ 木曜コンサート
デビュー15周年記念井上雅人バリトンリサイタル with 小瀧俊治

出演 井上雅人(バリトン) / 小瀧俊治(ピアノ)

2020年11月19日(木) 開場18:00 開演18:30
チケット ¥4,000

チケットお問い合わせ:メール

主催/アーク証券株式会社・紀尾井町サロンホール運営事務局