9月最後の木曜コンサートはイタリアオペラを中心に活躍している田島秀美さんのソプラノリサイタルです。豊かな声量と細やかな表現で美しい名アリアを歌っていただくとともに、ピアニスト河原 義さんの楽しいオペラにまつわるトークも織り込んで贈るアフタヌーンコンサート。田島さんのオペラ歌手をめざしたきっかけなどのエピソード、河原さんには当日の公演内容についてお話いただいたインタビューをお楽しみください。

田島さんと〈歌〉との出会いは?オペラ歌手を志したきっかけを教えてください。

 小さい時から、ピアノとソルフェージュを習っていました。その先生方のコンサートに出かけて行った時に、はじめてクラシックの〈生の歌声〉を聴きました。声楽科出身のソルフェージュの先生がいつも話す時、教えてくださる時の声とはまったく違う声の振動と美しさに驚きました。「どうしてあんな声が出るのだろう」と不思議で不思議でしょうがなく、ホールの空間に響きわたり、聞く人を包み込む声の威力に『ビビビッ』と雷に打たれた様な衝撃でした。でもその時は、ピアノ一筋でしたし、声楽を習うことはなく、そのまま大きくなりました。

 その後、ご縁なのですが高校1年生の時、クラスの担任の先生が偶然にも国立音楽大学出身の方で、進路のための面談で、「ピアノにそれだけ専念してきたなら〈音楽の道〉もある」と勧めてくれて、そこから音楽大学の受験勉強を本格的に始めました。当時もまだピアノ希望で進む予定でしたし、歌は学校の授業の合唱と、習っていたソルフェージュくらいでした。そして、憧れていた国立音楽大学の受験準備の講習に参加した際に、指導してくださった声楽の先生の素晴らしく美しい《ソプラノの声》に魅了され、はじめて「私は歌手になりたい!」と決意し、声楽家を志すことになりました。

オペラ歌手はどなたに憧れていましたか。

 実際に生で聴いたことはなく映像と録音だけですが、それでも一番心に残ったのはマリア・カラスですね。大学の図書館ではじめて聴いた、カラスの歌う「ノルマ」の〈清らかな女神〉は、それまでの私が知るソプラノの声とは、全く違ったものでした。でもとにかく忘れられない、印象に残る声で、大きな衝撃を受けました。

国立音楽大学、二期会オペラスタジオ研究生を経て、その後、国内にとどまらず海外のオペラの舞台でも主役を演じられてきました。恩師である名テノール歌手:アルベルト・クピード氏とミラノスカラ座でも活躍されていたソプラノの黒田安紀子さん夫妻との出会いがあり、そのご縁は特別な繋がりがあるとお聞きしたことがありますが、田島さんにとっては、どのような存在なのでしょうか。

 クピード先生、黒田安紀子先生に出会った5年前の私は、歌手として模索している時期でした。その頃、それまでに長くご指導くださった日本の先生がご病気になられて、なかなか思うように教えていただく機会がなくなっていました。私達の職業というのは、生身の体を使って、しかも体の中に楽器がありますので、客観的に正しい判断をしてくれる〈人の耳〉が大切なのです。信頼している〈人の耳〉が。オリンピックのアスリートに、信頼しているトレーナーがいるように、迷ったときに見て、聞いて、正しい判断をしてくださる方が不可欠です。

 そんな時に、クピード先生と奥様の安紀子先生との出会いでした。お二人が仰ったことで印象的だったのは、「声なんて誰だって出るのよ、邪魔になっているところを全部とってあげれば、ひとりでに声は出ます。」という言葉で、それは当時の私の迷いを取り去ってくれました。迷っている時って、何か作らなければならないという、焦るような気持ちになり迷いこんでしまうんです。無駄なものをくっつけてしまう。そして、どんどん音楽も声も、不自由で窮屈な状況になっていました。無駄なものを取り去ることで、声の道、息の流れが真っ直ぐに開かれるということを教えてくれました。

 奥様の黒田安紀子先生は、クラウディオ・アバード指揮でイタリアのスカラ座で〈ラ・ボエーム〉のミミ役でデビューし、その後も世界各地で〈蝶々夫人〉を200回以上演じてこられた伝説のソプラノ歌手です。なので、蝶々さんを歌う歌手が経験する難しいところ、こういうところで躓くという部分などを、全部教えてくれる。とにかく〈生き字引〉なんです。
私にとっては、本当に大切なご縁だと思っています。

最近の海外でのご活躍の中で、2018年にはルーマニア ガラツィ県 国立オペラ劇場“Nae Leonard”より招聘を受け、「蝶々夫人」(プッチーニ)のタイトルロールを演じてらっしゃいますね。興味深いエピソードがあったら教えてください。

 ルーマニアの劇場で歌うことになったのは、2017年 東京芸術劇場で行われた、ガラコンサートで共演した、ルーマニアの指揮者:クリスティアン・サンドゥ氏が、ガラツィの劇場に推薦してくださったことで実現しました。東京芸術劇場でのコンサート後に「素晴らしかったね。また共演しましょう。」と仰ってくださいましたが、本当にその約半年後に「ルーマニアで歌いたいですか?」とメッセージが届きました!私はてっきり、コンサートで1~2曲、歌わせてもらえるのかな…と思っていましたが、「いやいや、そうでなくて、オペラを歌いに来なさい」ということで〈蝶々夫人〉に演目が決まりました。

 ルーマニアのガラツィは東の端のドナウ川の畔、魚介が美味しい地方です。劇場に所属する歌手たちが、その劇場で主に歌っているという、ドイツスタイルの劇場でした。2018年は、秋~冬のシーズン二ヶ月ほどの間に、オペラ15演目のフェスティバルが開催され、〈トゥーランドット〉〈トラヴィアータ〉〈蝶々夫人〉の表題役3名が、招聘されていました。ルーマニアに限らず、日本以外のどこの国でもそうだと思うのですが、日本を想像なさる時に、やっぱり中国と重なってしまうところがあるようで、用意された鬘、衣装、小道具など、これはもしかして〈トゥーランドット〉に使ったものかしら…?と思うものが、多くありました。舞台大道具の屏風には、丁寧に真似た漢字風の読めない筆文字や、富士山らしき山の絵などが、ノスタルジックに描かれて、日本の文化を美しく表現したい演出の意図が感じられ、多少の思い違いがあっても、日本人としてそれはとても楽しく嬉しい気持ちになりました。

 私は蝶々夫人を演じたことがきっかけで、着物に目覚めて趣味に高じたのですが、着付けや着物について全般を学んだ着物学院が、「絢爛豪華な日本の本物の婚礼衣装で、日本の着物文化をヨーロッパにお伝えしてきて!」と応援くださり、クラスメイトの友人二人が、着付け師としてはるばるルーマニアに来てくれたのです。物語の中で、蝶々さんと三年間、生活を共にしていたスズキには、ぜひ蝶々さんと一緒に、本物の着物で並び歌えたら、との想いから「スズキの着物も持って行きたいのですが」と提案しましたら、演出部もとても喜んでくれました。その着物を着たスズキ役のルーマニアのメゾソプラノ歌手が、衣装を着てのお稽古の際に、おはしょりの所作、座るときの裾捌きを会得していたので、「きれいね!どこで覚えたの?」と尋ねたら、「秀美のテクニック。あなたの方法を見て学んだの!」と。私の所作を真似していたのですね。合唱の歌手の方たちもプロ意識が高く、日本のスタイルを学ぼうという意欲で、お稽古ごとに美しい振る舞いになっていました。

それは劇場の歌手の方たちには大きな刺激になったことでしょう。「蝶々夫人」を含め、数々のオペラのドラマチックな運命に翻弄される主人公を演じられてきましたが、特に思い入れのあるヒロインはございますか?

 ひとつに絞れないくらい、それぞれに素敵なのですが、思い返してみると、私にとってキーポイントになるのは〈トスカ〉です。デビューはヤナーチェク〈マクロプロス事件〉エミリア、次はビゼーの〈カルメン〉のミカエラで、三本目が初のイタリア物で、憧れだったプッチーニの〈トスカ〉です。今から考えたら、あの頃にこんな難役を、若気の至りで頑張っていたな…よく声を壊さずに歌っていたな、と。今もトスカを演じることが多く、回数を重ねる度に良さと難しさの両面がわかってきますが、あの時は「わかってないから頑張れちゃう」というところもあったのです。生涯にわたり、特別な想い入れのある大好きな役です。

音楽家にとっては新型コロナの多くの影響もあった数年です。挑戦の多い時期だったとお察しますが、今 声楽家として大事になさってらっしゃることはなんでしょう。

 コロナというのは、人類にとって大きな影響だったと思います。今まで普通だと思っていたこと、当然できると思っていたことが、出来なくなりました。これからコロナ以前のように戻ってくれれば嬉しいですし、前より良くなればさらに嬉しいですが、それはいつとも言えない。その中でいろいろ可能性を探していくという意味で、今までの当たり前では無いところに光を当てるやり方、どうやったらこの環境で歌い表現出来るか、どうやったら音楽の好きな方々に聞いてもらえるか、喜んでいただけるか…そういうことを探すことになりました。それはきっと多くの音楽家の皆さんが、同じ思いだったと思います。クラシック音楽は『生の音』に勝るものはないと思いますが、配信のコンサートもいたしましたし、DVDなども作りました。今できることとして、オペラの表現を伝える、受け取ってもらえる術を、真剣に考える時期でした。色々なことを配慮したコンサートも行い、今もその試みは続けています。

ピアニストの河原 義さんにお尋ねいたします。田島さんとは数々のステージでご一緒される朋友とお聞きしています。今回は進行役も兼ねてくださいますが、本公演は田島さんとどんな公演にしたいとお考えですか?

(河原さん) さきほどお名前が挙がっていたアルベルト・クッピードさん、黒田安紀子さん夫妻のマスターコースを通して知り合いそれ以来の仲です。今回のコンサートはプログラムの中で日本歌曲などもありますけれど、オペラということになりますと言葉でものごとを伝える以上に役になりきる、演技的な要素がすごく多くなります。なので、ヒロイン、作品の魅力がわかりやすく伝えることにより、さらに田島さんの魅力をお客様に伝わったらいいな、と思っています。私は中学の頃からイタリアに行っていまして、高校・大学と音楽の勉強はイタリアでしていますので、自分自身イタリアものに対する情熱というのは強いです。

 今まで演奏活動をご一緒してきた田島さんもイタリアものメインに活躍なさっていますが、このイタリアオペラというのは不思議なんですけど、近年に至るまで楽譜に忠実に演奏するということがされてこなかったのです。指揮者のリッカルド・ムーティ氏は指揮者のトスカニーニという厳格な指揮者がイタリアを離れたことが一番の原因と仰っています。ドイツ語のように厳密に書かれた楽譜に対してイタリアの作品というのは伝統の一言で、歌い手が歌いやすいように作曲家の意図を書き換えてしまうということが非常に多いのです。実際にピアニストがベートーヴェンのピアノソナタを弾く時に、「ここ一オクターブ上げたらかっこいいから上げちゃおう。」なんてありえないじゃないですか。でも、なぜかイタリアオペラは実はそういうことが当たり前になっています。それがイタリアもののオペラの価値を下げてしまう最大の原因だったと僕は考えています。(プログラムに予定されている椿姫の二重唱についてなどの具体例のお話しもありましたが、こちらは当日のお楽しみに。)

 楽譜に忠実に表現する、そしてシンプルな言葉でお客様にもわかるように伝えたうえで演奏すると作曲家の意図が伝わりやすいと思う、すなわちヒロインの魅力もより伝わると思うので、そういったこともお客様とコミュニケートを取りながら田島さんの歌、ヒロインに対する見解がより伝われば素敵かな、と思っています。先ほどマリア・カラスのお話が出ていましたが、僕も小学生の頃から歌の魅力に惹かれてきた人間の一人だと思っていますが、正直言ってマリア・カラスの声って魅力を感じたことがなかったのです。ただ、今話させていただいたことを踏まえて、映像に残っているコヴェントガーデンの〈トスカ〉第2幕ティト・ゴッビとマリア・カラスの名演を見ると、二人ともあれだけ感情移入して演技しているのに、全部譜面どおりなのですよ。素晴らしいです!今はそういった演奏はものすごく稀だと思います。

とても興味深いお話ですね、イタリアオペラの魅力により近づける河原さんのトークも楽しみです。田島さん、ゲスト出演してくださるバリトン歌手、大久保 眞さんについてもお聞かせください。

 大久保 眞さんは何十年も第一線で活躍される、日本を代表する素晴らしいバリトン歌手です。何度となく共演させていただき、大久保さんにオペラやコンサートでご一緒いただく事で、多くを学ばせていただいています。今回もこんなに素敵なホールでのコンサートですので、ぜひ大久保さんのお力もお借りして、華を添えていただこうと思いました。2017年には、ピアニストで指揮者:マルコ・ボエーミ氏の弾き振りでのダイジェスト版〈蝶々夫人〉主演の際も、大久保眞さんにシャープレスでご出演していただきました。(※マルコ・ボエーミ氏は、故パヴァロッティ、故ダニエラ・デッシー、近年ではグリゴーロなど、世界第一線の多くの歌手が、信頼を寄せるマエストロ)その時の演出は、NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」をはじめ、素晴らしい作品を生み出し続ける脚本家池端俊策さん。お芝居やドラマ、映画を知り尽くした方です。本当に素晴らしい演出で、様々な角度から作品に光があたり、可憐で凛として、そして儚い蝶々さんを引き出してくださいました。それまでに何度も蝶々さんを演じてきて、「ここは、こういう風に演技するもの」と、風習的に慣れてしまっている部分のあった私たち歌手に、もっともっと細かい心理描写での表現を求められ、本当に勉強になりました。この公演も脳裏に鮮明によみがえる、私の大切な一ページです。

紀尾井町サロンホールの印象はいかがですか?

(河原さん) 自分の企画でも頻繁にレクチャーコンサートとか、お客様とコミュニケートを取りながらオペラの魅力を一緒に感じようというスタイルが多いのですが、ここの距離感、雰囲気がとてもお客様と近くて、一緒に音楽を楽しめます。それと、先ほども舞台の上でいろいろ試させてもらいましたが、立ち位置によって歌の環境が変わって歌手の方も自分の好きなポジションを見つけやすいと思いました。なので、いろいろ方向性があって、ピアノソロ、歌の二重奏などいろいろな演奏に対応できますね。舞台側から見える景色がとても美しいので、気持ちよく演奏できます。あと、照明もホリゾントが5種類もあるということで、演出も楽しみです。

(田島さん) 私はここで歌わせていただくことを、ほんとうに楽しみにしてきました。最初にここに来させていただいた時に、まずエントランスからの印象が素敵で!演奏会にいらっしゃる皆さんはちょっと気持ちがうきうきしていますが、エントランスから、なおその気持ちを高めてくれると思います。

(河原さん)そうですね、それと、まったく音楽に関係ない業界の方にも声をかけやすいですね。ちょっとお洒落なところで音楽を聴いてからディナーに行こうかなってイメージで。

(田島さん)音楽と〈食〉って切り離せないですものね。

お話が尽きないインタビューのお時間でした。9月30日のコンサートはとても楽しい午後のひと時になりそうです。オペラへの情熱に溢れた公演をどうぞお楽しみに。

コンサート情報

アーク紀尾井町サロンホール主催シリーズ 木曜コンサート
田島秀美リサイタル ~日本の名曲&イタリアオペラの名場面~

Special Guest Bariton 大久保 眞
Piano &お話 河原 義

Program
越谷達之助 初恋
小林秀雄 落葉松
プッチーニ オペラ「トスカ」より“歌に生き、恋に生き”
ジョルダーノ オペラ「アンドレア シェニエ」より“亡くなった母を”
ヴェルディ オペラ「椿姫」より ヴィオレッタとジェルモンの二重唱

※曲目は変更になる場合がございます。予めご了承ください

2021年9月30日(木)
開場 14:30 開演 15:00
紀尾井町サロンホール
TICKET : ¥5,000 全席自由

【チケット・お問合せ】 official.hidemi@gmail.com (スタジオプルミエ)

田島 秀美 《ソプラノ》
国立音楽大学声楽科卒業。二期会研究生修了。2020年3月まで東京二期会会員として在籍。ヤナーチェク「マクロプロス事件」にて主演デビュー。その後「トスカ」「ボエーム」「椿姫」「蝶々夫人」「修道女アンジェリカ」など主演多数。 近年では、2017年「蝶々夫人&ガラ」主演=指揮・P.f.:マルコ・ボエーミ、演出:池端俊策。2018年ルーマニア ガラツィ県 国立オペラ劇場Nae Leonardより招聘され「蝶々夫人」主演。観客全員からのスタンディング・オベーションで喝采を受けた。 現在、藤原歌劇団団員、日本オペラ協会会員。アルベルト・クピード&黒田安紀子夫妻、田口興輔、村田健司、亀山勝子の各氏に師事。

大久保 眞 《バリトン》
国立音楽大学声楽科卒業。オペラ「運命の力」でデビュー。その後「ボエーム」「ジャンニスキッキ」「道化師」「フィガロの結婚」「蝶々夫人」「オテルロ」「椿姫」「カルメン」「トスカ」「ナブッコ」等、数多くのオペラに主演する。感情の深い広がりを感じさせる歌唱、演技で高く評価され、その得難いキャラクターは日本のオペラ界で貴重なバリトンとしての地位を確立している。 海外での演奏も多岐にわたっている。 2002年より新国立劇場のオペラ公演に多数出演する。 二期会会員。NPO法人Tokyo ope’lata代表。

河原 義 《ピアノ》
イタリア、パルマ アリゴ・ボイト音楽院附属中学校、パオロトスキ芸術高等学校、アリゴ・ボイト音楽院卒業。2001年よりイタリア、サンタフィオーラ・イン・ムージカにおいて、シカゴ交響楽団、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団などの主席奏者の伴奏ピアニストを務める。2007年より小澤征爾音楽塾、パルマ王立歌劇場、フィレンツェ五月音楽祭歌劇場、オペラノヴェッラのオペラ公演において、音楽アドバイザー、コレペティトールを勤める。「プッチーニのプロフィール」主催。

主 催:アーク証券株式会社・紀尾井町サロンホール運営事務局